淺井裕介展  MaskingPlant in Polonium



彼は侵食し増殖し続け、すべてを絡めとっていく。
何かが彼の中から吹き出すようでもあり、その行為は人を引き付けてやまない。
重ねたうえにまた重ね合わせ、それをもまた否定し、またその上から絵の具を、ペンを、マスキングテープを、重ねる。重ねて重ねて拡げて拡げて熟したころ、彼はそれを収縮させていく、彼の儀式である収穫が始まったのだ。
収穫したその重ね合わせた行為は、また閉じられた本という小宇宙に再構成され、また重ねあわされて、膨れ上がる。しかし、今度は少し平和に、やはり閉じられていく。
 そうして彼の創るアーチストブックはどんどんどんどん厚みを増し、パンク寸前になると、細胞分裂のように新しい彼の分身が生まれ、淺井色が真新しい白地を侵食してゆく。


この絶えまない行為。彼はその行為に引きずられるかのように生きていて、その痩せた体をどんどん増殖し膨張していく彼の動物的な植物(つまり彼の分身)に養分を奪い取られるように見えながら、しかしなおもその分身に彼自らを馴染ませずにはおけないようなのだ。動物と植物、動と静。引き裂かれたいくつかの要素が彼を葛藤せざるを得ないように導いているらしいし、彼は苦しいみたいなのだが、意外と甘い香りも漂わせている。
だが不思議なことに、決してエロティックというよりファンタジックな甘い香りなのである。


 何故エロティックでないのか、ということは、彼の要素にとってとても重要だと思われる。彼は常に接触するというよりか、「浸透する」ことにより境界を無化していき、何らかの垣根をなくし、事実社交的でないのにもかかわらず、社交的であったり、不思議と、いつも、彼のいるところは彼に馴染んでしまう。この馴染み方は徹底的に「浸透」によって為されており、彼の部屋は1日で出来てしまい、そして彼に会った始めの1日で淺井の居心地の良さにどっぷりつかりこませてしまい、ある人は心まで浸透されるのだ。



 エロティックというものは浸透というものを拒む何ものかの「壁」によって生じるズレ、そのズレをもどかしいと思う心、そして何とか壁を崩して、浸透したくて、でも、浸透できていないところに自分というものを浸透させてゆきたいという衝動、その衝動が大きければ大きい程エロティックの花が咲く。
結局エロスというものは鋼鉄のようなめちゃくちゃ固いものが、何とかして鋼鉄以外のものにも無理矢理鋼鉄になってもらおうと願う時、最大限に発現されるものなのだ。
彼は柔らかく、鋼鉄すらも錆びさせてしまうような内なる流動体的イメージ「そのもの」であり、最も鋼鉄の人でさえ思わず安心して彼の柔らかいファンタジックな世界へと身を委ねる。ファンタジックというのは何か包まれる感覚、世界そのものが微温的なファクターで覆われるときに立ち現れ、すべての人をまどろみヘと誘い、桃源郷のような満たされたものに帰らせてくれる。
胎内はファンタジー空間であり、そこから投げ出された瞬間エロスが発生する訳だが、それにもかかわらず彼はかたくなに胎内の記憶を辿り、いつもエロスを見る前に、自分の世界を浸透させることで胎内空間を、鋼鉄のような現実の中において少しずつ少しずつ増殖させてゆくのだ。


 それでも、それでも、やはり彼は鋼鉄のような現実に生きる1人の人間としてエロスを見ずにはいられない、その不快感、居心地の悪さ、フラストレーションはファンタジーへのベクトルが強ければ強い程発生し、敏感になった彼を刺激する。ささくれだった彼は、弱り、鋼鉄に負けそうになった時、逃げ、そして縮むが、鋼鉄に立ち向い、ささくれだったまま鋼鉄を錆びさせてしまうような時、恐ろしい化け物が重なって重なって重なりあった彼の思いが彼の指を伝わって生み出される。それが異常な程強烈な印象を抱かせるのだが、しかしやはりファンタジックである。強烈な葛藤。逃避したいのに逃避できない、でもやはり逃避したい、ならば侵食してしまえ、と決意した時の恐るべきパワー。ファンタジックな凶暴さである。


 拡張していく動物的植物。それは見境無しに壁を突き破り天井にも伸びていく。まさにつた植物のように壁の栄養分でさえも吸収してしまうかのようにもりもり育っていき、しまいには彼の手に終えなくなってしまったらしい。彼は、植物を育てる行為が終了し、取り入れの時期が来ても依然として壁中に這っている植物を完璧に取り払うことが出来なかった。マスキングテープの裏の接着面が老化していたらしく、べとべとしていて壁の中までをも侵食しており、取り払うのにかなりの苦労だったらしい。


 やってしまったあと。それはファンタジーの饗宴から「現実」に戻る時の代償をいやという程理解させるのに充分なものだった。しかし植物を総べて取り終わり、1冊の新しい本に封じ込め、不安定ながらもとりあえず安定させた状態に押し込めたあと、彼はまた次のファンタジーを求めるために、鋼鉄の現実の中を彷徨し彷徨し、弱り、しかし、内なる流動物に突き動かされながら次なる、大いなる侵食の儀式を思い描いているのである。




山本浩生 (美術作家) 2005.10
http://www.jpartmuseum.com/index.html