絵を見るようにみていた


たしかバンカートができた年に、
ちょうどアトリエ代わりに使っていた7年通った高校をでて(なかば追い出され)たこともあり、
制作場所を探して関内あたりをうろうろしていた。
公園、のげやま動物園、神社、映画館、船、色んなところで絵を描いていた
そしたら運良くバンカートにぶつかって、運良くとても広いスタジオを借りることができた。
 
夏のたった1ヵ月の期間だったけど、毎日通い、バレーコート2枚分はゆうにある大きなアトリエはすぐに絵でいっぱいになった、一ヶ月の間に、たくさんの人がスタジオを訪れ、どうせならと不法に居座っていた学校ではできないことをしようと思いイベントも沢山行った
そんな中で偶然にも友部さんと出会い、曽我部さんと出会い、大野一雄さんと出会い舞を見ることができた、
それからしばらくはその期間中につくったドローイングコピー本を売ったりして生活をしていたのだけどある人が、お金の変わりに大野一雄さんのDVDを3本くれた、
その中のひとつの映像をある時期は毎日のように見て救われていたと思う。
今でも一年に1,2度見ている。
舞踏を知り、考えてみるとそのおかげで今沢山の人と繋がっている。
 
今日その大野さんが亡くなったというニュースをみた、
  
ありがとうございました  
これからもずっと見続けます
心よりのご冥福をお祈りします。
   
http://www.youtube.com/watch?v=-aaYUcv9LAY
   
http://www.youtube.com/watch?v=ACms__4Y2mU&feature=related