おかずメルマガこっそり転記(第83号/最新号)

 
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インドの片隅の、小さな学校で開催されるウォールアートフェスティバル(WAF)。
第4回は2013年、2月16・17・18日に開催。
さて、インドではどんなことが起きているのか?
インドに暮らし、芸術祭をオーガナイズしている現地コーディネーターのokazuが現地の空気を伝えます。
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壁画を「消すワークショップ」、前夜の心情
  
 
「11×20−13×2−43×3、この問題を、A君、解いてみなさい」。
淺井さんの壁画「泥絵:八百万(やおよろず)の物語」が残る教室では、4年生がラケーシュ先生の算数の授業を受けていた。
3ヶ月ぶりに戻ってきたニランジャナスクールで勉強に励む子どもたちは、すっかり壁画に馴染んだように見えた。
教室前方のホワイトボードや自分のノートに視線をやり、集中して授業を聞いている。
壁画には生い茂る草木や、溢れんばかりの生きものが描かれているから、なんだか森の中で授業が繰り広げられているような錯覚を受ける。
 
絵に囲まれた教室と聞くと、「絵に気を取られてしまうのでは」と思うかもしれない。
そんな大人たちの心配をよそに、子どもたちは環境に順応し、絵を自分たちの日常の中に取り込んでいた。
ラジェーシュさん、バラさん、一郎さんの作品も子どもたちの学校生活の中にすっかりフィットしているように見える。
 
これらの絵を消すのだと考えると、僕の心は揺らいでしまう。
子どもたちが絵の中で勉強している、というのは、ある意味で完成された状況だ。
これまでは、絵を消すことでその状況が崩れても、新しい作品が生まれるというサイクルがあった。
そのサイクルの中で、消すという行為に再生と継続への願いを込めていた。
しかし、今回に限っては、次がいつになるかはわからない。
心が揺らぐのは、この3年間コンスタントにたどってきたサイクルからはずれることに物寂しさを感じているからかもしれない。
 
「八百万の物語」の一面は、WAF2012での3日間の展示を経て、4日目に消され、白い壁に戻った。
来る8月3日に別の一面を消すワークショップを行う。残りの面も、時間を追って消していき、冬にはもとの教室に近いところまで戻っていることだろう。
ほかの絵も一緒に消し、校舎はほとんど元通りになる。そのとき、僕は喪失感を覚えるんじゃないだろか。
「本当に消してしまうんだね。残してほしいけどね」という校長先生の言葉や、「なぜ消すんですか?せっかくいいものなのに」という大勢の言葉が頭をよぎる。
 
考えがここに至ると、そういえば、と、去年の冬にミティラー画を消したときを思い出した。
そのときは、「やっぱり消すんだね…」という周囲の声はあったものの、「子どもたちは十分にこの絵に触れたに違いない」という確信を得ていた。
ヤスリで削られていく絵を見て胸がズキズキしたけれど、後悔なんて無かった。
 
そうだ。また冬になれば同じような確信が得られるのかもしれない。
それまでに子どもたちが壁画から何かを受け取るのなら、彼らはそれを糧にして大きくなっていくだけのこと。
それでいいのだ。いつかまた、このニランジャナスクールの白い壁をキャンバスに、成長した子どもたちといっしょに芸術祭を繰り広げることができたら―と、僕たちは夢想する。
 
 
「消すワークショップ」は、来年、WAFから離れるニランジャナスクールの子どもたちにもう一度何かを渡せるチャンスだ。
淺井さん不在の現場は、ちょっと寂しいけれど、一瞬一瞬を大切に組み立てていきたい。

  
okazu