時々


成長の始まってしまったものを
できうる限り育てないといけない
今そこで育つのならば、
自分の意思は置いても、描ける体さえあれば手は動き出すように思う
 
時々、マスキングプラントよりも平面の絵が好きだと言われることがある
(それは特にマスキングプラントをやる前から知り合いの人によく言われる)
それを聞くたびに、ドキリとして、まだやらなくちゃダメなんだと思う。
 
マスキングプラントは今も生長をしていて、
一本一本にいつも新しい変化があって、自分の意識としてはドローイングと殆ど同じなのに
残らない作品であること(比較ができないこと)や、名前があるせいか、手法があるせいか、
それぞれを同じもの、「マスキングプラント」とされてしまうことが悔しい気持ちになる、
 
自分がもっとうまく描いていたらよかったのかもしれないと、もう一度、今一度と、思う
あの作品のよさを、感覚としてもっと正確に伝えられるようにすること。
 
なんて、言葉でいくら書いてみても仕方の無いことなんだけど。