日記


19日、夜6時の新幹線に乗り東京へ、そのまま小金井の大木さんのイベント
10時着、久しぶりの東京はなんだか新鮮で、街は暗いし人も車も少ないのだけどどこかしら、地震以前の電気はたくさん明るくてもどんよりした町よりも力強く「よし、ここから何かやってやろう」というような顔にも見える。月がとても綺麗に見えた。
    
小金井のイベント、
絵描き、写真、書、音、立体、映像などなどの展示のなかで色んなジャンルの人が歌ったり踊ったり、何にもしなかったりしている。この時期になにかを人の前でやるということは観る方も観られる方も当然地震のことを気にしないわけにはいられない。
みんなそれぞれそれを必死に自分の中で理解しようとしたり、無視しようとしたり、あがいている感じ。
大木さんと女性の方の最後のパフォーマンスで全てが繋がった。ハラハラして、乱暴で優しかった。
 
僕は始めてガラスに小麦粉で絵を描いたのですが、ほとんどの人がそれを小麦粉だとは思わなかったみたい、描いている時いいにおいがして、乾いてみると思いのほかしっかりとくっついてくれました、
誰かに「この食糧難の時期に…」といわれたけどスプーン2杯くらいの小麦粉は食べたらなくっちゃうけど「絵は(消しちゃうまでは)ずっと残るよ」と言ったりした。でもその絵も最後には包丁で削り取って捨ててしまった。
 
20日、朝から現美で準備、最後の共同制作、これはもう言うことの無い会心の出来でした、4時間という内容を考えると実は短い時間で制作内容の説明→収穫→標本7点制作→展示 という流れでしたが。いざ始まってみると時間も場所も最大限に生かされなんて集中力だろうと驚いた、そして出来上がったものを観てまた驚いた。参加者のみんな、お手伝いのみんな本当にありがとう。
 
夜新幹線で再び大阪へ、夜中の最終の新幹線はがらがらで、みんななんだか疲れていたけど自分は出来あがった標本のことを考えながらしばらく地震のことも、原発のことも忘れ、何が起こった(起こっている)んだろうと興奮していました。
 
21日、再び天王寺、だんだんこの町が分かってきた、
地下道もつかこなして出勤。町が分かってくるのと同時に鏡ばっかりのヘンテコな部屋の中でヘンテコな絵を描くことも、アクリル絵の具のような行儀のいい画材との対話にも大分慣れてきている感じがする
でもまだまだ油断せず、用心深く、筆を入れていくこと。
 
どこかで爆発する、
その時に最善の道順を選べるようにしておくこと。